寝台列車で行く広島の旅。━其之伍━からの続き
縮景園
広島藩主初代浅野長晟が広島城入城の翌年1622年(元和6)から別邸の庭として築庭されたもので、作庭者は家老で茶人として知られる上田宗箇です。
これ以後、改修が重ねられ、7代藩主重晟が1773年(天明8)から同8年にかけて京都の庭師清水七郎右衛門を招いて着手した大改修により現在に残る景観、地割になっています。
庭の特徴は、広大な池を中心に造形された池泉回遊式の大名庭園です。
濯纓池
この園内の中心にある濯纓池の取水は正面築山の向こう側の京橋川から満潮時に取り込むように造られており、上流からの真水と海水が混ざり合って流れ込むため、、水質は汽水状態です。
このため、コイ、ボラ、スズキ、チヌが一緒にいる池となってイアmす。
清風館
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造で、屋根は杮葺です。西側は優雅な書院造りの様式を備えており、東側には花頭窓を設け跨虹橋に臨んでいます。代々の藩主が愛好した名亭です。この建物は、当初は壱之茶屋と呼ばれていましたが、7代藩主重晟の時に文徴明筆の「清風」の額に因んで「清風館」と呼ばれるようになりました。
大銀杏
このイチョウは、原爆投下後の火災から生き残った木の一本です。
樹齢は推定200年以上と言われています。爆風で傾いたため、倒れないようにと梢や枝を切り払っております。
迎暉峰
園内最大の築山で富士山を縮景表現したとも言われています。この頂上から広島城下や広島湾、はるか宮島まで望むことができたと言われます。
跨虹橋
濯纓池を中央で南北に結び、二分する形で地上と天上を結ぶ虹のように構築された縮景園を象徴する名橋です。長さ24.88m、幅1.99m、開口部2.54mです。
7代藩主長晟が天明の大改修で清水七郎右衛門に二度も築き直させたと言われる御影石造りの太鼓橋です。堅固で原子爆弾の破壊も免れ芸予地震にも耐えたものです。
まさに縮景園の名にふさわしく、山あり池あり橋ありと色々な景色が見られる庭園でした。
そして、この日最後の目的地広島城に行きます。
寝台列車で行く広島の旅。━其之七━へ続く
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