tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

2007-01-01から1年間の記事一覧

2007年を振り返って。

今年最後のBlogです。 今年は、出産、結婚と1年を通しておめでたいことが続いていた年でした。 まあ、個人的には色々あった年でした。 おまけに、最後の最後で大失態をしてしまうし。(><) しばらくは、反省ということで。 おとなしく、正月を迎えたいと思い…

やたらと続く結婚と破局。

ホントにどうでもいいことですが、最近やたらと芸能人の結婚と破局のニュースがやたらと目につくんですよね。 麻生久美子30歳スタイリストと結婚 「時効警察」おめでた続く(12月28日) オダジョー、香椎由宇と電撃結婚(12月28日) 新庄剛志さん…

戒行寺坂(かいぎょうじざか)

【新宿区須賀町】 戒行寺の南脇を東に下る坂である。坂名はこの戒行寺にちなんでいる。(『御府内備考』) 別名「油揚坂」ともいわれ、それは昔、坂の途中に豆腐屋があって、質の良い油揚げをつくっていたからこう呼ばれたという。(『新撰東京名所図会』)

スッキリ。

25日は、プチ告白してスッキリとしました。 内容については、ここで言えないですが、25日来た人の特典(?)ということで。 Macもチューンアップして調子がよくなりました。 これで後は、年賀状を書き終われば、スッキリとした新年が迎えられそうです。 …

渡辺坂(わたなべざか)

【新宿区天神町】 江戸時代、坂の東側に旗本渡辺源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年(一六六七)に市谷鷹匠町の屋敷と引きかえにこの屋敷を拝領し、渡辺家は幕末までこの地にあった。

1000000人のキャンドルナイトin 2007冬至を呼びかけます。

また、1000000人のキャンドルナイトの季節になってきました。 このブログを見てくれるすべての人によびかけます。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 電気を消してスローな夜を 私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。 2007年の冬至の日、12月2…

チューンアップ中。

いよいよ、キャンドルナイト当日になりました。 チューンアップのため、2日ほど更新できません。 Macも大掃除ということで、すっきりして帰ってくることでしょう。 年賀状の作成は、それからになります。 これから、25日に備えて買い出しです。 まったく…

軽子坂(かるこざか)

【新宿区神楽坂】 この坂名は新編江戸志や新選東京名所図会などにもみられる。 軽子とは軽籠持の略称である。今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことか…

蛙坂(かえるざか)

【文京区小日向】 「蛙坂は七間屋敷より清水谷へ下る坂なり、或は復坂ともかけり、そのゆへ詳にせず」(改撰江戸志) 『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた…

気がつけば・・・。

気がつけば、また少しブログの更新に間が空いてしまいました。 やっぱり、年末は忙しいね。 と思ったら、今週末はいよいよキャンドルナイト。 今年も2週間きりました。 今年は、あと何回ブログを更新できることやら。

もうすっかり・・・。

このところ、忙しいのと風邪を引いたのとで、あまり街に出ることはなかっかけど、今日は久々に街に出てのんびりした。 もう、街はすっかりクリスマス仕様。 考えてみれば、クリスマスまで2週間を切っているんだからね。 なんか、今シーズンツリーをまともに…

鳥居坂(とりいざか)

【港区六本木】 江戸時代の半ばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(1688~1703)ごろまで開かれた道である。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 左側には、シンガポール大使館があります。 坂下にいくと、麻布十番…

出羽坂(でわざか)

【新宿区南元町】 明治維新後、この坂上に旧松江藩主であった松平伯爵の屋敷が移転したため、こう呼ばれるようになった。松平邸内には、修徳園と呼ばれる名庭があったが、太平洋戦争後取り壊された。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 画像では写っていま…

千日坂(せんにちざか)

【新宿区南元町】 この坂下の低地は、一行院千日寺に由来し千日谷と呼ばれていた。 それに因むものである。なお、かつての千日坂は明治39年(1906)の鉄道造成のため消滅し、現在の千日坂は、それと前後して作られたいわば新千日坂である。 ★★★★★★★★★★…

『クローバー』

『クローバー』角川書店/島本理生 島本理生の最新作。 ホントは『あなたの呼吸が止まるまで』を読むつもりだったけど、『クローバー』とたて続けに出たので、こちらをチョイス。 双子の姉弟、華子と冬治は大学に通うために、実家を離れて、東京で一緒に暮ら…

落合坂(おちあいざか)

【港区麻布台】 我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が、行きあう位置にあるので、落合坂と呼んだ。 位置に別の説もある。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 坂はどこにあるのか、しばらくわからないほどのなだらかな坂です。

痛い(><)

11月後半になって、ブログの更新頻度がやや少ない今日このごろ。 昨日、職場から緊急出場の電話があり、1kmあまり走るはめに。 そのあと、しばらくしたら、足が痛くなってきた。 どうやら、筋肉痛・・・。 これは、あまりにも運動しなさすぎ。 1日経った…

1000000人のキャンドルナイトin 2007冬至のビジュアル

1000000人のキャンドルナイトin 2007冬至のバナーができたようです。 今回は、メニュー側に付けてみました。 もう一ヶ月きりました。

庾嶺坂(ゆれいざか)

【新宿区神楽坂】 江戸初期この坂のあたりに多くの梅の木があったため、二代将軍秀忠が中国の梅の名所の名をあるという。(『御府内備考』) 別名、「行人坂」「唯年坂」(ゆうねんざか)「ゆう玄坂」「幽霊坂」「若宮坂」とも呼ばれる。

狸坂(たぬきざか)

【港区元麻布】 人を化かす狸が出没したと言われる。 旭坂ともいうのは東へ登るためか。

ゴール!!

日曜に終わった中国鉄道大紀行最長片道ルート36,000kmの旅をついさっき見終わりました。 関口さんと通訳の陳さんの話しがおもしろかったのが、一番印象に残りますね。 これで、鉄道旅は引退するのだとか、ちょっと寂しいですね。 なんか、最近『鉄塔 武…

釈迦坂(しゃかざか)

【文京区小日向】 春日通りから、徳雲寺の脇を茗荷谷に下る坂である。 『御府内備考』によれば、「坂の高さ、およそ一丈五尺(約4m50cm)ほど、幅六尺(約1m80cm)ほど、里俗に釈迦坂と申唱候。是れ徳雲寺に釈迦の石像ありて、ここより見ゆるに因り、…

狂い咲き。

昨日、植物に詳しいダンデライオンと日比谷公園を歩いていたら、ビックリした様子で何かを見ていました。 何だろう?と、視線の先を見ると、アメリカデイゴが咲いていました。 ダンデライオンの説明によると この花は通常6~9月にかけて咲く花とのこと。 …

『転々』

昨日、HERO、ALLWAYSをやり過ごして、今年3本目の映画を観てきました。 それは、 『転々』 大学8年生の文哉(オダギリジョー)は、福原(三浦友和)という謎めいた男から借金をチャラにする方法を告げられる。それは、福原の“お散歩”に付き合うこと。そし…

饂飩坂(うどんざか)

【港区六本木】 天明年間末(1788年)頃まで松屋伊兵衛という、うどんやがあったためにうどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 坂下では、芋洗坂と合流します。 また、坂を登る…

実におもしろい。

今、巷で流行っている言葉があるそうです。 「実におもしろい」 「さっぱりわからない」 これは、月9のガリレオで福山雅治が演じる湯川学が言う決まり文句です。 先々週の魂ラジで言っていたんですが、ホントに流行っているのかなあ? でも、この二つの言葉…

『鉄塔 武蔵野線』

『鉄塔 武蔵野線』ソフトバンククリエイティブ/ 銀林みのる1997年に映画化された『鉄塔 武蔵野線』の文庫完全版。夏休みも半ばを過ぎたある日のこと、5年生の見晴は近所の鉄塔で番号札を見つける。その名は『鉄塔武蔵野線75ー1』見晴は、仲のいいア…

坂探索後記。~神楽坂近辺 その1~

昨日は、午後に時間のゆとりがあったので、坂探索してきました。 今回の収穫は 地蔵坂、渡辺坂、瓢箪坂、赤城坂、軽子坂、相生坂、御殿坂の計7坂。 時間があまりなかった割には集めた方です。 後記では触れていないけど、神楽坂はすでに探索済み。さすが坂…

中島Jrデビュー!

中嶋、2008年はウィリアムズのレースドライバーに!(F1Live.comより) アロンソより先に決まってしまった。中島一貴のデビュー。 中島一貴は、あの中島悟の息子。 日本人初の2世ドライバーです。 なんか、感慨深いものがあります。 なんか、来年のF1は盛…

永井坂(ながいざか)

【千代田区一番町】 この坂を永井坂といいます。 坂下一帯は3丁目谷ともいわれています。名称のおこりは旗本屋敷の名によるとされています。 嘉永4年(1851)の「東都番町大絵図」という切絵図をみますと永井勘九郎、永井奥之助という旗本が道をはさん…