寝台列車で行く広島の旅。━其之六━からの続き
縮景園を後にして、この日最後の目的地広島城に向かいました。
広島城
1588年(天正16)に毛利輝元が初めて上洛し、秀吉に謁見しました。
その時に、大坂城・聚楽第を訪れ、その豪壮さや町の繁栄を目の当たりにした輝元は、居城の郡山城が時代遅れであることを悟り、新しい城を作ることを決意したと言われています。
翌年に築城を開始し、同19年には輝元は入城しています。しかし、この時は本丸などの主要部分が出来ていただけで、石垣や堀が未完成だったようです。
落成したのは、1599年(慶長4)という記録が残されています。
関ヶ原の合戦後、福島正則が入城し、外堀や外郭の整備を進め広島城を完成させました。
その後、正則は洪水で破損した広島城の修復許可の不備で改易され、代わって和歌山から浅野長晟が転封して以降、明治維新まで浅野家が広島藩主として勤めました。
広島城は、別名鯉城とも言われています。
由来は、この付近が己斐浦にあたり、己斐の音が鯉に転んじたと言われています。
広島城裏御門跡
広島大本営跡
1877年(明治10)に広島鎮台司令部として建てられた2階建手の木造洋館。
日清戦争の際には、天皇が戦争を指揮する機関となったが、原爆により倒壊。現在は、基礎の石が残っている。
天守閣
1945年(昭和20)原爆により、城内の建物は壊滅し、1958年(昭和33)に復元されたものです。
天守閣からの眺め。
右側には、原爆ドームや旧広島市民球場のライトスタンドが見えます。
二の丸表御門
1989年(平成元)に広島築城400年を記念して復元されたものです。
焼失後も残存した礎石の上に、昔とおりの工法によって往時の姿を蘇らせています。
そして、やっと1日目が終わり、2日目に入ります。
寝台列車で行く広島の旅。━其之八━へ続く
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(日記・雑談 [その他])