tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

大往生ビワハヤヒデ。

昨日、ビワハヤヒデの訃報の一報が流れました。
ビワハヤヒデ死す、93年菊花賞などGⅠを3勝(日刊スポーツより)

www.nikkansports.com
93年菊花賞などGⅠ・3勝を挙げた名馬ビワハヤヒデが、けい養先の日西牧場(北海道日高町)で21日未明に老衰で死んだことが、分かった。30歳だった。同牧場の高山直樹社長は「最近はあまり元気がなかったですから。夏があまり強い馬ではなかったので。(墓の建立は)まだ何も考えていません」と悼んだ。
同馬は92年9月13日阪神新馬戦でデビュー。単勝2番人気ながら大差勝ちで初陣を飾ると、3連勝でデイリー杯3歳Sを優勝。その後、朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーとGⅠでは3戦連続2着という惜敗が続いたが、3歳秋に神戸新聞杯菊花賞を連勝し、ついにビッグタイトルを手にした。93年のクラシック路線をウイニングチケットナリタタイシンと牽引した。有馬記念ではトウカイテイオーの2着に敗れたが、同年の年度代表馬、最優秀4歳牡馬(現最優秀3歳牡馬)にも選出された。
94年は京都記念天皇賞・春宝塚記念、秋のオールカマーと重賞4連勝で現役最強の地位を確立した。春の時点で1歳下の半弟ナリタブライアンが2冠を達成(後に菊花賞も優勝)しており、有馬記念での兄弟対決も注目を集めていたが、天皇賞・秋5着のレース中に故障していたことが判明し、同レースを最後に引退した。戦績は16戦10勝。同年の最優秀5歳以上牡馬(現最優秀4歳以上牡馬)にも選出されている。デビューから15戦連続連対はシンザンの19戦連続連対に次ぐ、史上2位の成績だった。
95年から種牡馬としての生活をスタートし、05年からは功労馬として余生を送っていた。高山社長は「ビワハヤヒデの人生(馬生)は恵まれたものだったと思います。多くのファンに応援してもらい、本当に感謝しております」とツイッター上でもコメントしている。種牡馬としては01年日経新春杯2着のサンエムエックスが稼ぎ頭で重賞ウイナーを送り出すことはできなかったが、いとこには桜花賞などGⅠ・3勝のファレノプシスや、ダービー馬キズナなどが出ており、その血脈は絶えることなく日本競馬界に根付いている。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ビワハヤヒデがクラシック戦線で走っていたのが、おいらが競馬デビューした年。
競馬を始めて、最初に見た名勝負が第38回有馬記念
世間的には、トウカイテイオーがラストランで盛り上がっていました。
ビワハヤヒデは、春のクラシックでは、2位だったものの、秋は神戸新聞杯菊花賞と連勝していました。
一方、ラストランのトウカイテイオーは、前走は去年の有馬記念11着。
そして、スタート。
メジロパーマーが逃げて、その次にビワハヤヒデ、そして少し後ろにトウカイテイオー
4コーナー回って、順調に先頭に立つビワハヤヒデ、そしてそこに1年ぶりのトウカイテイオーが差してゴール。
これが、おいらが一番最初に見た名勝負でした。
トウカイテイオーの奇跡的なラストランを彩ったのが、ビワハヤヒデでした。
そんなことを思い出させるビワハヤヒデ
長い間、お疲れさまでした。

 

 

よかったと思ったら、クリックお願いします。

人気ブログランキングへ←人気ブログランキングへ(日記・雑談 [その他])