調布七福神巡り━其之参━からの続き
布田天神から祇園寺に行く途中。
野川沿いに歩きました。桜並木で、桜の季節はなかなか良さげなところです。
祇園寺
天平年間(729〜749)、満功上人により開山。御本尊は阿弥陀如来立像を新たに奉安し、古くは秘仏薬師如来及び閻魔大王をおまつりしている。
当初は、法相宗であったが、平安期になって天台宗に改宗され現在に至っている。
その間、無住の時代もあって、廃寺寸前に追い込まれた時期もあったという。そのため、寺の歴史を示す史料は全て散逸してしまっている。
明治末年中西悟玄住職代に自由民権運動殉難者慰霊祭、並びに大演説会が盛大に行われ板垣退助始め領袖の党員千余名が参集したという。その時の記念として板垣伯お手植えの松は「自由の松」として称えられている。
本堂
自由の松
深大寺
満功上人が733年(天平5)に深大寺を開創しました。
平安時代、清和天皇の貞観年中(860)、武蔵の国司蔵宗が反乱を起こし、この降伏を祈念するために、比叡山の恵亮和尚が勅命を受け東国に下りました。恵亮和尚は深大寺を道場に定め、逆賊降伏の密教修行を行い、その平定の功により、清和天皇から近隣7か村を深大寺に寄せられ、寺を恵亮和尚に賜りました。
以来、深大寺は法相宗から改宗して天台宗になりました。
正長年中と天文年中に野火により伽藍を焼失したと伝えられています。この衰亡した深大寺を歎いた世田谷の吉良家は、寺領の寄進、伽藍の再興を行いました。
徳川の時代になると吉良家の先例にならって領地の寄進を受けます。深大寺郷の内に50石のちが与えられ、徳川時代の深大寺はその配下に末寺40余寺を擁し、多摩川流域の中心的寺院として繁栄してゆきます。
1865年(慶応元)、またもや深大寺諸堂は炎上し、山門と常香楼を残すのみとなります。1868年(慶応3)には、元三大師堂が再建、1922年(大正11)には本堂が再建され、今に至っています。
本堂
元三大師堂
これで、七福神巡りは終了ということで、門前の島田屋でたぬきそばを食べました。
そして、1日たっぷりと歩いたので、そのまま深大寺温泉湯守の里で温泉に入って、帰途につきました。
今回は、今までの最長距離ということで、なかなかしんどかったけど、最後の温泉で疲れがとれました。
調布七福神巡り━おわり━
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)