tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

今宮純さん、死去。

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年明けから、今宮純さんの訃報が出てたけど、真偽がはっきりしなかったので、書いてこなかったけど、ようやくニュースが信頼できたので、書きます。
おいらがF1をテレビで観始めたころはすでに、フジテレビで今宮さんが解説をしていて、見た目通りの渋い声で、解説していたのを覚えています。解説は今宮さん、ピットレポーターは川井さんで、それをずっと観ていました。
年末には、今季のF1を楽しみしていることをツイッターにも書いていたので、あまりにも急だったので、ビックリしました。
日本でのF1普及に多大な影響を与えた今宮純さんに敬意を評して
「今宮さんはいませんが、F1は続いていくわけです。」

 

 

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2020年冬ドラマ

今クルーは、ドラマ不作のような気がします。
しかも、なぜかやたらと医療ものが多いです。


絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜

www.fujitv.co.jpついに上戸彩がでなくなってしまった。
さて、今回の井澤はどうなるのか?


今夜はコの字で

www.bs-tvtokyo.co.jpまたもや、グルメ系ドラマ。
大衆居酒屋のコの字カウンターがある店に特化したドラマ。


贋作男はつらいよ
寅さんが関西弁になります。
大阪は東大阪の寅さんです。主演の桂雀々さんがいい味を出しています。 

 

 

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虎ノ門・麻布台再開発#1【2020 1/11】

新国立競技場が出来たということで、新たな定点観測は、虎ノ門・麻布台の再開発を時々観測します。

 

f:id:hiro-jp:20200111144714j:plainオランダヒルズ前の歩道橋から
右側の高いビルは、アークヒルズ仙石山森タワーです。
渋谷の桜丘地区の再開発もそうだけど、街並みがごっそり無くなる感じの喪失感がすごいです。

 

f:id:hiro-jp:20200111150333j:plain元は麻布郵便局があったところ。
もう。跡形無いです。

 

f:id:hiro-jp:20200111150837j:plain行合坂
わずかに残るだけになるのでしょうか?それとも消滅するのか?

 

f:id:hiro-jp:20200111151031j:plain麻布通りから
真ん中のビル1枚目のオランダヒルズです。

 

f:id:hiro-jp:20200111151302j:plain行合坂の反対側
こっち側は、消滅しています。

 

f:id:hiro-jp:20200111152015j:plainかつての我善坊谷坂があったところ。
かろうじてOリングがみえるところがそうです。

 

f:id:hiro-jp:20200111152115j:plain元麻布郵便局があったところをアークヒルズ仙石山森タワーから見てみました。

 

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アークヒルズ仙石山森タワーから麻布通り方面。

 

 

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6年ぶりの新作。

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いよいよ、今日から。
すでにHTBのある北海道では、放送されているけど、ついに水曜どうでしょうの新作が全国で放送されます。
もちろん、おいらのいる関東でもMXテレビでやることになりました。
何回かロケに出ているという話があるので、どういう作りになっているのか、とても楽しみです。

 

 

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浅草名所七福神巡り━其之参━

浅草名所七福神巡り━其之弐━からの続き

tokyosora.hatenablog.com

石浜神社を参拝終えたし終えたのが15:30。
残り3つもあり、次の吉原神社まで距離があるので、歩くと参り終えないので、台東区のコミニューティバスのめぐりんで、橋場1丁目から吉原神社の近くにある台東病院まで行きました。

 

f:id:hiro-jp:20200104160259j:plain吉原神社
1617年(元和3)、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが江戸吉原です。
1655年(明暦3)年の大火のあと、千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが新吉原ということになります。
新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳神社、それに廓内四隅の守護神である榎本神社、明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社が祀られておりました。
この五社が、1872年(明治5)に合祀されることに吉原神社として創建されました。吉原神社の歴史は、新吉原遊廓のそれと折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。

 

f:id:hiro-jp:20200105103713j:plain吉原神社御朱印

 

f:id:hiro-jp:20200104160916j:plain鷲神社
天日鷲命日本武尊をお祭りした由緒正しい神社です。
酉の市の神社として広く知られています。
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が岩戸の前で舞われたおり、弦という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲が止まったので、神様は世を明るくする瑞像を現した鳥だと喜びになり、以後この神様は鷲の一時を入れて、鷲大明神、天日鷲命と称されるようになりました。
日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の末に武具の熊手をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の市です。

 

f:id:hiro-jp:20200104164211j:plain鷲神社社殿

 

f:id:hiro-jp:20200105103725j:plain鷲神社御朱印

 

f:id:hiro-jp:20200104171732j:plain矢先稲荷神社
1642年(寛永19)11月23日、三代将軍家光公が国家の安泰と市民安全祈願ならびに武道の錬成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
京都の三十三間堂になrって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所が的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられました。

 

f:id:hiro-jp:20200104170922j:plain矢先稲荷神社社殿

 

f:id:hiro-jp:20200105103755j:plain矢先稲荷神社御朱印


17:20。
なんとか、浅草名所七福神を巡り終えました。
かかった時間、約7時間でした。

 

f:id:hiro-jp:20200104172009j:plain明かりがついたスカイツリー


浅草名所七福神巡り━おわり━

 

 

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浅草名所七福神巡り━其之弐━

浅草名所七福神巡り━其之壱━ からの続き

tokyosora.hatenablog.com

 

f:id:hiro-jp:20200104140954j:plain今戸神社
当社は元今戸八幡宮と称し、御冷泉天王の時代1063年(康平6)源頼義、義家父子は勅命により奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地にいたり、京都の岩清水八幡を鎌倉鶴ケ岡の浅草今津村に勧請しました。
応神天皇の母君神功皇后新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州で誕生されました。
従って応神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊弉諾尊伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、1441年(嘉吉元)千葉介胤直が自分の場内に勧請しました。
冉尊二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と尊崇されております。
1937年(昭和12)に今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くから武州豊島郡今津村と称し、その後今戸となりました。

 

f:id:hiro-jp:20200104143451j:plain今戸神社社殿
なぜか、ここで混み始めたので、後で調べてみたら、佐藤健宮崎あおいが『世界から猫が消えたなら」の映画をヒット祈願して、招き猫を奉納したみたいです。

 

f:id:hiro-jp:20200105103527j:plain今戸神社御朱印

 

f:id:hiro-jp:20200104151306j:plain橋場不動尊
760年(天平宝字4)、奈良東大寺大仏の建立に尽力した良弁僧正が、相州大山寺で一刀三礼して刻まれれた一木三体不動の随一と称せられ、悪魔降伏の威想を備え、信ずる者には必ず霊験を与え給う不可思議の尊像として、古来よりご秘仏として崇められています。
江戸時代には橋場寺として、周辺の三条公、有馬候、池田備前候等をはじめとする武家屋敷の人々の尊信を集め、現在の本堂は江戸時代の建立で、小堂ながら美しく、江戸時代の特徴をよく現しています。
また、明治末年の大火、関東大震災、戦災などを免れたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっています。

 

f:id:hiro-jp:20200105103542j:plain橋場不動尊御朱印

 

f:id:hiro-jp:20200104152245j:plain石浜神社
当社は、聖武天皇の724年(神亀元)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1296年の歴史を持っています。
1189年(文治5)、源頼朝の奥州征伐に際しての社殿の寄進、1281年(弘安4)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣のご奉納などを経て中世には退社としての発展をみました。

 

f:id:hiro-jp:20200104152352j:plain石浜神社社殿

 

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石浜神御朱印


石浜神社を参拝終えたのが、15:30。
あと、3カ所。時間的に終わりが刻々と迫ってきています。


浅草名所七福神巡り━其之参━へ続く

tokyosora.hatenablog.com

 

 

 

 

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浅草名所七福神巡り━其之壱━

先週土曜のこと。
毎年恒例の七福神巡りに行ってきました。

 

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今年は、浅草名所(などころ)七福神です。
浅草寺(大黒天)➔浅草神社(恵比須)➔待乳山聖天毘沙門天)➔今戸神社(福禄寿)➔橋場不動尊布袋尊)➔石浜神社(寿老神)➔吉原神社(弁財天)➔鷲神社(寿老人)➔矢先稲荷神社(福禄寿)
浅草名所七福神は、寿老人と福禄寿がダブっていて、合計9カ所巡ります。
なぜ、9カ所あるかというと、
「九は数の究み、一は変じて七、七は変じて九と為す。九は鳩であり、集まる意味をもち、又、天地の至数。易では陽を表す」という故事に由来しているからだそうです。
ガイドによると、7キロ2時間半の行程ですが、結果かかった時間は・・・。

 

f:id:hiro-jp:20200104103533j:plain雷門を10:30にスタートしました。

 

f:id:hiro-jp:20200104110846j:plain浅草寺影向堂
本堂の北西に建つ、寄棟造りの堂宇が影向堂である。現在の影向堂は、1994年(平成6)に浅草寺中興開山慈覚大師円仁さまのご誕生1200年を記念して建立された。
影向とは、神仏が姿かたちとなって現れることである。浅草寺では、観世音菩薩のお説法やご活躍に不断に協力されている仏さまを「影向衆」と呼び、影向衆に干支ごとの守り本尊八体(影向衆)を祀る。堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣の須弥壇中央には聖観世音菩薩を祀り、その左右に千住観音、虚空蔵菩薩文殊菩薩勢至菩薩大日如来不動明王阿弥陀如来を祀る。
また、外陣には浅草名所七福神の大黒天を祀っている。境域には、石橋、阿弥陀如来、宝筐印塔など古い文物が多く存在する。

 

f:id:hiro-jp:20200105103443j:plain浅草寺御朱印

 

f:id:hiro-jp:20200104111331j:plain浅草神社
明治初年の文書によると、祭神は土師真中知命、桧前浜成命、桧前竹成命、東照宮である。浜成と竹成は隅田川で漁猟中、浅草寺本堂の観音像を網で拾い上げた人物、真中知はその像の奉安者といわれている。三神を祀る神社なので、「三社様」と呼ばれた。しかし鎮座年代は不詳。東照宮は権現様すなわち徳川家康のことで、1649年(慶安2)に合祀された。
以来、三社大権現といい、1868年(明治元)三社明神、6年後には浅草神社と改称した。

 

f:id:hiro-jp:20200104112644j:plain現在の社殿は1649年(慶安2)12月、徳川家光が再建したもの。建築様式は、本殿と拝殿との間に「石の間」を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造。この社殿は江戸時代初期の代表的な権現造として評価が高く、国の重要文化財にしていされている。
また、毎年5月に行われている三社祭でも知られている。

 

f:id:hiro-jp:20200105103502j:plain浅草神社御朱印


この二つを廻り終えた時点ですでに13:30。すでに、3時間が過ぎてしまいました。
浅草神社で2時間近く使ってしまいました。
ここから、次の待乳山聖天に向かいます。

 

f:id:hiro-jp:20200104134607j:plain途中、言問橋西詰からみたスカイツリー
久々にこんなに大きく見ました。

 

f:id:hiro-jp:20200104134921j:plain待乳山聖天
浅草寺の北東、隅田川西岸にある待乳山は、標高10メートルの丘である。ここに伽藍を構える待乳山聖天は、正式には本龍院といい、浅草寺の支院の一つである。
縁起によると、595年(推古天皇3)9月20日、一夜のうちに湧現した霊山で、その時の金龍が舞い降り山を廻り守護した。
その後、601年(推古天皇9)の夏に、干ばつのために人々が苦しみあえいでいた時に、十一面観音の化身である大聖歓喜天が姿を現して人々を救済し、聖天さまとして祀られたのが草創という。
有名なのが、1月7日の大根まつりで、法要ののち、正月中に御本尊聖天さまにお供えされた大根を調理した風呂吹き大根がお神酒とともに参拝者に授与され、賑わっている。

 

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f:id:hiro-jp:20200104140528j:plain待乳山聖天の提灯。
お供えの大根が描かれています。

 

f:id:hiro-jp:20200105103513j:plain待乳山聖天御朱印


浅草名所七福神巡り━其之弐━へ続く

tokyosora.hatenablog.com

 
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浅草名所七福神 http://www.asakusa7.jp

 

 

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