浅草名所七福神巡り━其之弐━からの続き
石浜神社を参拝終えたし終えたのが15:30。
残り3つもあり、次の吉原神社まで距離があるので、歩くと参り終えないので、台東区のコミニューティバスのめぐりんで、橋場1丁目から吉原神社の近くにある台東病院まで行きました。
吉原神社
1617年(元和3)、徳川幕府の命によって、江戸市中各地に散在していた遊女屋は日本橋葦町あたりに廓として統合されました。これが江戸吉原です。
1655年(明暦3)年の大火のあと、千束村に移転を命ぜられ、そこに新しく造られたのが新吉原ということになります。
新吉原遊郭には古くから鎮座されていた玄徳神社、それに廓内四隅の守護神である榎本神社、明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社が祀られておりました。
この五社が、1872年(明治5)に合祀されることに吉原神社として創建されました。吉原神社の歴史は、新吉原遊廓のそれと折り重なり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されてきました。
吉原神社御朱印
鷲神社
天日鷲命と日本武尊をお祭りした由緒正しい神社です。
酉の市の神社として広く知られています。
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が岩戸の前で舞われたおり、弦という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲が止まったので、神様は世を明るくする瑞像を現した鳥だと喜びになり、以後この神様は鷲の一時を入れて、鷲大明神、天日鷲命と称されるようになりました。
日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の末に武具の熊手をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りされました。その日が11月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の市です。
鷲神社社殿
鷲神社御朱印
矢先稲荷神社
1642年(寛永19)11月23日、三代将軍家光公が国家の安泰と市民安全祈願ならびに武道の錬成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
京都の三十三間堂になrって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所が的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられました。
矢先稲荷神社社殿
矢先稲荷神社御朱印
17:20。
なんとか、浅草名所七福神を巡り終えました。
かかった時間、約7時間でした。
明かりがついたスカイツリー。
浅草名所七福神巡り━おわり━
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(東京都)