tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

三岸アトリエ

三岸アトリエ
【中野区上鷺宮2ー2−16】
設計:山脇巌(1898〜1987)
竣工年:1934年(昭和9)<1958年改修>


11月3日のこと。
今年も恒例の東京都文化財ウィークの一環として、特別公開される建築物に行ってきました。今回は、この三岸アトリエと旧赤羽台団地41号棟です。
初登場の建築家山脇巌についてです。
長崎県対馬出身で、1926年に東京美術学校図案科第二部を卒業して、横河工務所に入所します。その後、裏千家の山脇善五郎の娘の山脇美智子と結婚して、養子に入ります。
1930年、32歳の時に夫人とともにバウハウスに留学します。そこで、ミース・ファン・デルローエやカンデンスキーらに当時の最新のデザインを学びます。大きな影響を受けて、1932年に帰国。
バウハウスは、1933年に閉校しているので、最後の方の世代となります。
川喜田煉七郎の新建築工芸学院に在籍し、自由学園の工芸研究所で講師を務めます。
1939年のニューヨーク万博では、日本館を手がけます。
1940年には帝国美術学校(現、武蔵野美術大学
1947年に日本大学の教授
同年に生産工芸研究所を設立します。
1977年に日本大学名誉教授
1987年に88歳で亡くなります。
代表作としては、三岸好太郎アトリエ(1934)、旧俳優座劇場(1953)、日本大学芸術学部校舎(1965)があります。

この三岸アトリエは、三岸好太郎(1903〜1934)は大正末期から昭和初期にかけて洋画家の鬼才と言われた画家。このアトリエは好太郎がデザインし、山脇が設計しました。好太郎は、病で竣工を待たずに亡くなりますが、妻の三岸節子が完成させ、住居兼アトリエとして使用していました。

玄関
この扉は、右手のアトリエに続いています。

 

 

 

応接間。
奥に見えるのは、アトリエです。
ここは、元々壁がなくアトリエ部分と一続きになっていたようですが、今は壁があり独立した部屋になっています。

 

アトリエ
この三岸アトリエの最大の特徴の南向きの前面窓。
自然光が入ってきて、とても気持ちいいです。

 

シンブルで機能的な螺旋階段。
好太郎が山脇に要望して、付けてもらったそうです。

 

 

2階和室。
この建物は、鉄筋コンクリートではなく、木造建築なので、あちこちと傷んでいます。

 

和室の奥にあるアトリエに下る階段。
2階は、居住スペースとなっています。

中庭
右の建物がアトリエです。

 

以前の三岸アトリエ。

 

 

 

 

おまけ
三岸アトリエの裏にあるヴィンテージマンションカーサビアンカ。
なかなか風情があるマンションです。
吉高由里子主演「きみの瞳が問いかけている」のロケ地としても使われたそうです。

 

 

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