tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

游鯉園の坂(ゆうりえんのざか)

【北区十条仲原】 十条仲原の台地から稲付川に下る坂です。大正時代から戦前まで坂下の川下にあった川魚料亭が游鯉園で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村の農家がよく利用していました。…

王子稲荷の坂(おうじいなりのさか)

【北区岸町】 この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。 また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。 よかったと思ったら、クリックお願…

二寧坂(にねいさか)

【京都市東山区升屋町】 別名、二年坂ともいう。 この坂道は、古くからあったが、産寧坂(三年坂)の手前の坂という意味で、この名が通り名となった。「ここでつまづき転ぶと2年以内に死ぬ」と言い伝えは「石段、坂道は気を付けて」と云う警句が語り伝えら…

産寧坂(さんねいさか)

【京都市東山区清水2丁目】 別名、三年坂ともいう。 この坂を産寧坂といい、400年以上も前からある有名な坂で、名前の言われについては古くから、いろいろの説があります。 清水寺の子安の塔に続く坂であるため産寧坂というのが一般的で、産は「うむ」寧…

三丁目坂(さんちょうめざか)

【文京区音羽】 旧音羽三丁目から、西の方目白台に上る坂ということで三丁目坂とよばれた。 坂下の高速道路5号線の下には、かつて弦巻川が流れていて、三丁目橋(雑三橋)がかかっていた。 音羽町は江戸時代の奥女中音羽の屋敷地で、『新撰東京名所図会』は…

真正寺坂(しんしょうじざか)

【北区赤羽西】 岩槻街道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側に普門院末の真正寺がありましたが、拝辞となり坂名だけが残りました。 坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月建立の庚申塔に「これよりいたばしみち」と刻まれていて、日…

三日月坂(みかづきざか)

【北区赤羽西】 道灌湯から東南に登り中坂へでる坂です。 道灌湯のあたりに、大正3年(1914)帝国火工品製造所が出来、この工場のためにできた坂といいます。工場へ往来する馬車などで賑わいましたが、大正4年5月に工場は爆発事故で焼失しました。そ…

大坂(おおさか)

【北区赤羽西】 この坂は、赤羽駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。 昔は、赤羽から上の台(うえのだい)に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動の石段に帯するものとして付けられまし…

八幡坂(やわたざか)

【北区赤羽台】 坂名の由来は、坂の北側に八幡谷と言われたことに因む。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

坂探索後記〜王子周辺〜

土曜のこと。 久々に坂探索をしてきました。 飛鳥大坂、権現坂、王子大坂、王子稲荷の坂、三平坂の計5坂。 王子と言えば、飛鳥山と王子稲荷。今回は、その2大ランドマークも巡りつつという坂探索でした。 これで、北区の坂探索も終わりが見えかけてきまし…

なべころ坂(なべころざか)

【目黒区中目黒】 昔、鍋が転がるほどの急坂であったことから、その名がついた。また路面に赤土のかたまりがごろごろしていたのでという由来もある。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

紺屋坂(こんやざか)

【金沢市兼六町】 加賀藩初期に藩の御用染商館紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたのでこの名が付いた。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★★ 上ると桂坂へと至る坂道。 右側にはお土産物屋が続いています。 よかったと思ったら、クリッ…

桂坂(かつらざか)

【金沢市兼六町】 兼六園の入口にある坂。 このあたりに桂の大木があることから名付けられた。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ だいたい大きな庭というと平地にあるイメージがあるのですが、兼六園は高台にあります。なので兼六園の入口に『〜坂口…

見返り坂・見送り坂(みかえりざか・みおくりざか)

【文京区本郷】 昔、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷に注いでいた。 罪を犯して江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された者が振り返りながら去ったから見…

うつり坂(うつりざか)

【北区赤羽台】 赤羽台東小学校の北にあるこの坂は、旧板橋街道の坂道の一つです。大正8年(1919)に旧陸軍被服本廠が赤羽に移転すると、被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行は出来なくなってしましたが、戦後、被服本廠の跡地に赤羽台団地が…

馬喰坂(ばくろざか)

【目黒区目黒】 逆S字にカーブを描く目の前の坂が馬喰坂。その昔、坂はとても急で、切り通しの工事を行った。しかし、頂上部は、庚申道が交差して思い切った工事ができず、風雨にさらされると、大小の穴で路面がが凸凹していた。道路に穴があいた状態を昔の…

行人坂(ぎょうにんざか)

【目黒区下目黒】 由来は、寛永の頃、出羽の湯殿山の行人がこのあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。 しだいに多くの行人が集まり住むようになっあので、行人坂と呼ばれるようになったといわれてます。 よかったと思ったら、クリックお願いします。…

中坂(なかざか)

【文京区白山】 胸突坂と浄心寺坂の間にあるので、中坂と名付けられた。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

権之助坂(ごんのすけざか)

【目黒区下目黒】 元々は、新坂と呼ばれていたが、江戸中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいて、村人のために年貢米の取り立てをゆるめてもらおうと訴え出るが、その功が罪に問われて刑に処せられることになり、途中村を振り返った場所だったので、…

根津裏門坂(ねづうらもんざか)

【文京区根津】 根津神社の裏門前を根津谷から本郷通りに上る坂道である。 根津神社の現在の社殿は、宝永3年(1706)五代将軍綱吉によって、世継ぎの綱豊(六代家宣)の産土神として創建された。形式は権現造、規模も大きく華麗で、国の重要文化財であ…

謡坂(うたいざか)

【目黒区上目黒】 昭和の初め頃、この坂の近くに謡の好きな人が住んでいたので、謡坂と呼ぶようになったといわれる よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

中山坂(なかやまざか)

【渋谷区恵比寿南】 昔、坂脇に中山勘右衛門の屋敷があったところからその名が付いた。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 坂上は、別所坂に通じています。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

稲荷坂(いなりざか)

【目黒区上目黒】 この近くに刺抜大明神があるので、稲荷坂と呼ばれるようになった。 一説に、この道はかつての鎌倉道の一部とも言われ、目黒でも古い道の一つでもある。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ この坂も含めて、上目黒にある坂は蛇崩川に下ってい…

鐙坂(あぶみざか)

【文京区本郷】 本郷台地から菊坂の狭い谷に向かって下り、先端が右に緩く曲がっている坂である。名前の由来は「鐙の製作者の子孫が住んでいたから」(『江戸志』)とか、その形が「鐙に似ている」と言うことから名付けられた(『改撰江戸志』)などと言われ…

別所坂(べっしょざか)

【目黒区中目黒】 この辺りの地名であった「別所」が由来と言われている。 別所坂は古くから麻布方面から目黒へ入る道としてにぎわい、かつて坂の上にあった築山「新富士」は浮世絵にも描かれた江戸の名所でもあった。

あかぢ坂(あかぢざか)

【台東区谷中】 近くに住んでいた実業家が事業に失敗したことからその名がついたと言われています。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

『坂道・ぶんきょう展』 

先日のこと。以前から行きたかった、文京ふるさと歴史館で開催中の『坂道・ぶんきょう展』に行ってきました。 文京区にあるという115の坂を絵画、写真、切絵図などで見ていこういうもの。 切絵図で坂の下り上りがわかるのもおもしろかったけど、おいらが…

弥生坂(やよいざか)

【文京区弥生】 かつて、このあたり一帯は「向ヶ岡弥生町」といわれていた。元和年間(1615〜24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった…

芋坂(いもざか)

【台東区谷中】 坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺前へ通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名付けられて、わずかにその名を残している。 坂名は伝承によると、この付近で山芋が取れたのに因むという…

逸見坂(へんみざか)

【文京区白山】 「白山神社裏門の南、小石川御殿町の指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上がる坂あり、逸見坂といふ、旧幕士逸見某の邸、坂際にありよしより此名に呼ぶなり」(東京名所図会』) 武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿」で、逸見坂は…