江戸時代の1679年(延宝7)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が鈴ヶ森刑場で処刑され、権八のなじみの遊女小紫はこれを悲しんで自殺した。
このとき、帰りの遅い小紫を捜しにきたお付きの禿が帰り道でならずものに襲われ、逃げ場を失い桐ヶ谷の二ツ池に身を投げたという。
これを憐れんだ近くの人が、亡骸を池の傍の丘に葬り、その後、一帯の丘陵をかむろ山 、これに通じる坂道を禿坂と呼ぶようになったと伝えられている。
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約500m続く桜並木は、なかなかたいしたものです。
桜の咲く時期に訪れてよかったです。
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