【千葉県船橋市三山2ー2−1 東邦大学習志野キャンパス内】
設計:不明
竣工年:1900年(明治33)12月
Photo:2022年11月
旧赤羽台団地を見学した後に、急いで廻ったのが、こちら旧日本陸軍習志野騎兵旅団兵舎。
取り壊す直前の特別公開ということで行ってきました。
兵舎は、幅9メートル、奥行き18メートルで、用途は騎兵旅団の倉庫として使用。
122年前のもので、現存する騎兵旅団の建物では最古と見られています。
今でも、陸上自衛隊習志野駐屯地がありますが、船橋市東部から習志野市北東部にかけての台地は明治時代には、習志野原と呼ばれ、陸軍の騎兵場だった。
日露戦争(1904〜5年)に備え、1899年に習志野騎兵旅団が創設され第13、14連隊(騎兵第1旅団)、15、16連隊(騎兵第2旅団)の拠点が置かれた。
第1旅団は、日露戦争でロシアもコサック騎兵を撃退するなど活躍した。旅団長の秋山好古は、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に描かれ、ドラマ化もされた。
兵舎の前には、騎兵第13聯隊の碑があります。
この建物が旧日本陸軍のものであることがわかる通気口の五芒星。
北の丸公園の旧近衛師団司令部庁舎にもありました。
ちなみに、旧日本電報通信本社(現電通)にも五芒星がありますが、創業者の光永星郎が旧日本陸軍にいたことからだと思われます。
倉庫としては、ちょっと凝った(?)作りの持ち送り。
後で見るけど、屋根の構造がキングポストトラスと呼ばれるイギリス式なので、その影響でしょうか?
裏側
123年前の建物で、かなり痛んでいますが、あまり手入れなどしてない割には、しっかりとした造りです。
中は、2013年まで柔道場(奥)と空手道場(手前)として使われていました。
敷居のところで、半々として使われていました。
柔道場の方は、壁がボコボコに壊れていて、補修した後がありました。
練習の後が、きっかりと残っています。
扉
屋根の構造であるキングポストトラス式です。
これは、空手道場側のキングポストトラスですが、サンドバックを吊るしていたらしく、かなり削れています。
こちらも激しい練習の跡がありました。
唯一あった柔道部形跡。
部訓(?)
よかったと思ったら、クリックお願いします。
←人気ブログランキングへ(日記・雑談 [その他])