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tokyo.sora(β版)

ちょっとだけ、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

春の信州を行く。━其之六━

TRAVEL 中部地方

春の信州を行く。━其之五━からの続き


翌朝、タンタンは朝から仕事なので旧松代駅で別れて、バスで一路長野駅まで行く。
さて、どうしたものかと考えたけど、やはり長野に来たら、久々に善光寺へ行くことにしました。
歩いてもいけるけど、あえて長野電鉄で行くことにしました。

ホームに行くと、なんとなく懐かしい車両が止まっていました。

 

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これは、3500系(元営団3000系)。
すでに、日比谷線で営業運転を終えて、20年以上も経っているけど、まだ現役で走っているとは・・・。
長野電鉄には、この他にも小田急・東急・JR東日本成田エクスプレスの車両などが譲渡されています。

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善光寺参道
善光寺参道は、1707年(宝永4)、本堂が仲見世堂跡地蔵尊付近から現在地に移転竣工の後、1714年(正徳4)に完成。
本堂普請の後、参道の路面状態が悪く、参詣人に難儀をきたしていたため、1713年(正徳3)に本堂前の敷石が腰村西光寺住職単求の寄進により敷設、続いて境内入口の二天門跡から山門下が江戸中橋上槙町の石屋香庄(大竹屋平兵衛)の寄進により敷設された。
敷石は、山門上は幅四間、山門下から二天門跡までが幅三間で、長方形の石が規則正しく敷かれている。西長野郷路山産の安山岩で総数777枚といいならわされているが、現在約7000枚が敷設されている。
一部補修をしているが、大部分が当初のままで、これほどの規模を持つ近世以前の敷石の参道は、全国的にも稀である。

 

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仁王門
現在の仁王門は、当県山形村の永田兵太郎を始めとする全国信徒の篤志により1918年(大正7)に再建されました。
間口約13メートル、奥行き約7メートル、高さ約14メートルで、屋根は銅葺きです。

 

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山門
1745年(延享2)に建立が始まり、1750年(寛延3)に落成しました。
高さ約20メートル、正面約20メートル、奥行約7.8メートル。入母屋造りの楼門で、樫の丸柱が18本使われています。正面の善光寺の額は、日光輪王寺の門跡であった公澄法親王の親筆によるものです。
楼上には、文殊菩薩騎獅像と四天王立像が安置されています。

 

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善光寺本堂
本当は、642年(皇極天皇元)の創建以来、十数回の火災に遭っており、現在の建物は1707年(宝永4)の再建です。
間口約24メートル、奥行約54メートル、高さ約26メートルあり、江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。
本尊を祀る仏堂に、参拝者のための礼堂が繋がった特集な形をしており、棟の形が鐘を撞く道具の撞木に似ているところから撞木造りと呼ばれています。国宝建築物の中で、東日本最大、檜皮葺建造物の中では日本最大の規模を誇る建物です。

 

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本堂左側から見た桜。
この日は、風があって桜風吹になっていました。

 

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善光寺御朱印。
前回は、本堂の御朱印をもらったので、今回は山門の文殊菩薩の御朱印です。

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さらば、長野県ということで、帰途に着きます。
でも、あと1回続きます。

春の信州を行く。━其之七━へ続く

 

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