tokyo.sora(β版)

ちょっとだけ、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

東京の坂

転坂(ころびざか)

【港区赤坂】 江戸時代から道が悪く通行する人たちがよく転んだために呼んだ。 一時、盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

庚申坂(こうしんざか)

【北区赤羽西】 はっきりとした由来は不明だが、一説によると坂上の字名が庚塚だったためと言われている。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

芝坂(しばざか)

【北区岸町】 芝坂の名前は不明。 地名の岸町の由来は、中世のころこのあたりは岸村という荒川の岸辺に臨む一寒村であった。 王子稲荷も元は岸稲荷といい、この頃の創建であったと伝えられている。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログ…

御殿坂(ごてんざか)

【府中市本町】 この坂は、府中街道の一部を成しています。 坂の名は、徳川将軍家の「府中御殿」に由来しています。府中御殿は、徳川家康が1590年(天正18)8月1日に江戸入城ののち、鷹狩りや鮎漁などで府中へきた時に宿泊する所として、現在の本町…

牛鳴坂(うしなきざか)

【港区赤坂】 赤坂から青山へ抜ける厚木通で路面が悪く車をひく牛が苦しんだために名付けられた。 さいかち坂ともいう。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

八景坂(はっけいざか)

【大田区山王】 今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようなところから、別名薬研坂と呼ばれた。 この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより「笠島夜雨、…

上坂(かみさか)

【府中市西府町】 この坂は、相模国の大山へ行く大山道の一部です。 坂名の由来については明らかではありませんが、旧本宿村内の坂を西側から上・中・下3つの坂に分けて名付けたのかもしれません。 別名を「かじやばけ」といいますが、これは、このあたりの…

ヘルマン坂(へるまんざか)

【品川区東大井】 立会川の月見橋近くに位置し、東大井の閑静な住宅街を南北に走っている見晴らし通りにある坂です。 戦前、ドイツ人のヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏が、この坂の途中に居住していたことから、いつの間にかこう呼ばれるようになりまし…

地蔵坂(じぞうざか)

【北区中十条】 地蔵坂は、この坂の上の三叉路で合流し、ここを通って下る坂道です。 現在の中十条2−11−1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵堂から続いていましたので地蔵堂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋…

鳳生寺坂(ほうしょうじざか)

【北区赤羽西】 この坂は、鳳生寺門前から西へ登る坂で坂上の十字路まで続き、坂上の旧家の屋号から六右衛門坂とも呼ばれます。 坂上の十字路を右へ向かうと赤羽駅西口の弁天通り、左へ向かうと十条仲原を経て環七通りへと至ります。名称の由来となった鳳生…

飛鳥大坂(あすかおおさか)

【北区王子】今はきわめて緩やかな勾配だが、『東京府村誌』には、「飛鳥山坂にあり、木村(滝野川村)飛鳥橋の方に下る。長さ一町十二間三尺、広さ三間、坂勢急なり」と記されているように都内でも有数の難所であり、荷車の後押して手間賃を稼ぐ人もいた。…

清水坂(しみずざか)

【北区中十条】十条の台地から稲付の低地に下る岩槻街道(旧日光御成道)の坂である。昔は険しく長い坂道だったので、十条の長坂などと呼ばれた。切り通しの崖からは絶えず清水が湧き出ていたので、清水坂の名が付けられた。現在は崖が削りとられて、その跡…

石神井坂(しゃくじいざか)

【北区中十条】この坂は、旧石神井坂で、新石神井坂は東十条の北口通路になります。昔は、台地から耕地へ下る農道として使われていたようです。よかったと思ったら、クリックお願いします。←人気ブログランキングへ(東京都)

法安寺坂(ほうあんじざか)

【北区赤羽西】赤羽西幼稚園・法安寺の西を経て第三岩渕小学校の北東角へ登る坂。坂名は、法安寺に因んでいる。昭和3年頃法安寺は法安堂といい、堂下には3つの泉があった。周辺には願行の太鼓が鳴り響き、西側の庚申坂より先へ草原が広がっていたという。…

野間坂(のまざか)

【北区赤羽西】この坂道の名前は、大正・昭和前期に活躍した出版事業家で、講談社の創立者でもある野間清治氏(1878〜1938)の旧別邸前の坂だったことから由来しています。現在、野間氏の旧別邸跡地は北区立稲付公園となっており、区民の憩いの場と…

新茶屋坂(しんちゃやざか)

【目黒区三田】 茶屋坂に対して、あたらしく開かれた坂であることから、新茶坂と名付けられた。 1928年(昭和3)当時は、隧道であったが、1974年(昭和49)に廃止された。その隧道上には、三田用水が延々300余年にわたって、流れ続いていた。 …

稲付城趾坂(いなつけじょうしざか)

【北区赤羽西】 稲付城は戦国時代に太田道灌が築城したと言われる砦跡です。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 結構な急坂で上ると4階分ぐらいの高さがあります。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

蛇坂(へびざか)

【北区赤羽西】 この坂は蛇のようにくねっているところから名が付いた。蛇坂とその西にある市場坂の谷を北谷といった。谷の奥にわき水があり、釣り堀があった。 夏の夕暮れどきこの谷をうめつくす程ヤンマが飛び交い、この坂でとんぼ採りをする子供達でにぎ…

権現坂(ごんげんざか)

【北区王子本町】 権現坂とは、この坂を下った交差点から王子神社の鳥居付近まで登っていく坂道をいいます。 権現という坂の名称は、王子権現社の権現から採った名前ですが、これは、神仏分離以前の王子神社が王子権現と呼ばれていた点に由来しています。坂…

馬坂(うまざか)

【北区中十条】 昔は低地の村々から板橋宿へ通じ急坂で、坂下に荒沢不動の池があった。この道は姥ヶ橋地蔵尊の付近で王子へ通じる稲荷道と交差し、御成橋を経て板橋宿至る。坂の名は豊島村馬場の「馬に関係があるように思われるが、坂の地形が馬の背に似てい…

三平坂(さんぺいさか)

【北区岸町】 名主の滝公園の北端にそって台地へ登る曲がりくねった坂道である。 坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある十条郷作人三平の名からともいわれている。農家の人が水田へ下る通路であったが、名主の滝へ…

水車の坂(すいしゃのさか)

【北区西ヶ丘】 現在は石坂となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂野途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。 現在は稲付川も暗渠となってしまい…

暗闇坂(くらやみざか)

【文京区白山】 江戸時代、坂の両側は森川家と酒井家の下屋敷で樹木が鬱蒼として茂って薄暗かったので、その名がついたと思われる。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

游鯉園の坂(ゆうりえんのざか)

【北区十条仲原】 十条仲原の台地から稲付川に下る坂です。大正時代から戦前まで坂下の川下にあった川魚料亭が游鯉園で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村の農家がよく利用していました。…

王子稲荷の坂(おうじいなりのさか)

【北区岸町】 この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。 また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。 よかったと思ったら、クリックお願…

三丁目坂(さんちょうめざか)

【文京区音羽】 旧音羽三丁目から、西の方目白台に上る坂ということで三丁目坂とよばれた。 坂下の高速道路5号線の下には、かつて弦巻川が流れていて、三丁目橋(雑三橋)がかかっていた。 音羽町は江戸時代の奥女中音羽の屋敷地で、『新撰東京名所図会』は…

真正寺坂(しんしょうじざか)

【北区赤羽西】 岩槻街道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側に普門院末の真正寺がありましたが、拝辞となり坂名だけが残りました。 坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月建立の庚申塔に「これよりいたばしみち」と刻まれていて、日…

三日月坂(みかづきざか)

【北区赤羽西】 道灌湯から東南に登り中坂へでる坂です。 道灌湯のあたりに、大正3年(1914)帝国火工品製造所が出来、この工場のためにできた坂といいます。工場へ往来する馬車などで賑わいましたが、大正4年5月に工場は爆発事故で焼失しました。そ…

大坂(おおさか)

【北区赤羽西】 この坂は、赤羽駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。 昔は、赤羽から上の台(うえのだい)に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動の石段に帯するものとして付けられまし…

八幡坂(やわたざか)

【北区赤羽台】 坂名の由来は、坂の北側に八幡谷と言われたことに因む。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)