tokyo.sora(Δ版)

久々に、ブログ内の整理が進んだのでバージョンを上げます。日々のことを徒然と。映画の感想が多いですが、決して映画ブログではありません、 坂探索は、ケイゾク

久左衛門坂(きゅうさえもんざか)

【新宿区新宿】 この坂は、徳川家康の江戸入府以前から大久保に居住していた島田家の草創久右衛門が新しく開いた坂道であったため、こう呼ばれるようになったという。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

銀杏坂(いちょうざか)

【新宿区薬王寺町】『御府内備考』によると、この坂道の北側に旗本久貝家の屋敷があり、屋敷内に銀杏稲荷という社が古くからあったので、銀杏坂と呼んだという。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

『江戸の凸凹━高低差を歩く』@太田記念美術館

一昨日のこと。太田記念美術館で開催されている『江戸の凸凹━高低差を歩く』に行ってきました。太田記念美術館は、表参道にある浮世絵専門の美術館です。そこで、江戸の高低差が描かれいる浮世絵、80点を展示していました。絵は、歌川広重の『名所江戸百景…

光明院坂(こうみょういんざか)

【府中市分梅町】この坂道は、普通分梅道あるいは鎌倉街道と呼ばれる古街道です。沿道には浅間神社、八雲神社、光明院といったある古社寺が点在しています。坂の名も真言宗光明院に由来します。別名を「根ッ子坂」とも言われますが、これは以前道が荒れてい…

我善坊谷坂(がぜんぼうだにざか)

【港区麻布台】我善坊谷は、龕前坊谷とも書く。1626年(寛永3)10月、二代将軍徳川秀忠の正室であるお江与(崇巖院)逝去し、その葬礼が芝増上寺で行われた。荼毘に付されたのは、今の六本木駅近くにある深広寺の旧地だったが、葬列の途中の道筋にあ…

馬込坂(まごめざか)

【大田区仲池上】坂名は、第二京浜国道が建設され、1949年(昭和24)頃より五反田から多摩川際までのバスが通るようになり、馬込坂下、馬込橋のバス停が出来ると自然に馬込坂と呼ばれるようになった。第二京浜国道が出来る前のこの付近一帯は小高い丘…

山吹坂(やまぶきざか)

【新宿区新宿】この坂上の大聖院境内にある「紅皿の碑」にちなみ、こう呼ばれるようになった。紅皿は太田道灌の山吹の里伝説で、雨具がないことを古歌に託して、道灌に山吹の一枝を捧げた女性である。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブロ…

雪見坂(ゆきみざか)

【大田区東雪谷】かつて、この坂より富士山の雪がよく見えたため、雪見坂と呼ばれるようになった。昭和6年から昭和9年まで行われた耕地整理により、道路が整備された後に付けられた坂名です。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログラン…

八幡坂(はちまんざか)

【大田区仲池上】子安八幡神社に沿ってあるため、この坂を八幡坂という。坂下には子安橋がありともに神社からの由来する名である。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

清水坂(しみずざか)

【府中市分梅町】切り通しの坂道であるこの坂は、昔、この道の両側から清水がこんこんと湧き出ていたことに由来すると言われています。坂道のある府中崖線(特にハケ)あたりは、地下水の作用による浸食谷が発達しており、現在でも湧水を見ることができます。…

梯子坂(はしござか)

【新宿区新宿】 坂道が急で、あたかも梯子を登るようであったため、梯子坂と名付けられた。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★右側は、銭湯がありなかなか趣があります。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

宮前坂(みやまえざか)

【大田区東雪谷】雪谷八幡神社の前の坂であるため、宮前坂と呼ばれるようになったと言われています。なお、坂下の呑川にかかる橋も宮前橋と名付けられています。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

鍋割坂(なべわりざか)

【千代田区九段南】この坂を鍋割坂と言います。『新撰東京名所図会』には、「堀端より元新道一番町の通りへ上る坂なり。」と書かれています。同じ名称の坂は各地にありますが、どれもふせた鍋(台地)を割ったような坂であることからその名がつけられていま…

宮坂(みやさか)

【文京区千石】明治時代、この地に有栖川宮熾仁親王が一時所有していた邸があった。その後、1934年(昭和9)に尾張屋銀行が宅地開発を行った際に坂道が造成され、有栖川宮を慕って、宮坂と名付けられた。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★豊島区と文京区と区界にあ…

天神坂(てんじんざか)

【府中市宮町】この坂の名は、大国魂神社の末社「天神社」がまつられている天神山に由来します。この山は「国造山」とも呼ばれています。天神社は普通「てんじんしゃ」と呼ばれ、菅原道真を祭神とする天満宮と混同されていますが、本来は「あまつかみのやし…

清戸坂(きよどざか)

【文京区目白台】別名、清土坂ともいう。1676(延宝4)年、御三家の尾張德川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市)につくられた。将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。これが現在の目白通りである。首都高速道路5号線護国寺出入口(護国寺側)から目白通…

南坂(みなみざか)

【大田区南馬込】馬込の中心にある八幡神社からみて南側にあるので南坂といわれている。昔の坂は、道幅も狭く急な坂で、今の第二京浜国道の中央あたりまであったという。この坂道は西へ下って二本木を通り、池上の根方に通じた古い道である。 よかったと思っ…

花抜坂(はなぬきざか)

【大田区東雪谷】『大日本史』に載せられた伝説によると、この付近は野花が美しく咲き乱れ、日蓮聖人が思わず手折ったので、以来「花抜き(花の木ともいう)」後名で呼ばれるようになったという。坂名はこの地名に由来する。 よかったと思ったら、クリックお…

馬坂(うまさか)

【府中市八幡町】この坂の由来は明らかではありませんが、すでに明治の頃には使われていたといわれます。江戸時代、新宿に「おん馬屋」 (現八幡町)と呼ばれていた旧家の下氏がおり、あるいは、この坂の名は下家の俗称「おん馬屋」から由来しているのかもし…

おいはぎ坂(おいはぎざか)

【大田区南馬込】別名、牛洗戸坂とも言われています。坂名の由来は、道が狭く見通しが悪いため、度々おいはぎに遭ったところから名付けられました。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★右に見える社は、北向上台稲荷です。上に見える墓地は、万福寺の墓地で、…

砂利場坂(じゃりばざか)

【文京区千石】護国寺造営の際に砂利取場となっていたためこの坂名となった。後に開墾されて新田になった。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

犬坂(いぬざか)

【品川区東大井】この坂は、階段が造られるなど舗装整備されているが、曲がりくねった坂道であった。犬坂の由来は不明であるが、俗称の「へびだんだん」はその曲がりくねった有様からそう呼ばれている。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブ…

弁慶坂(べんけいざか)

【府中市片町】『江戸名所図会』に「甲州街道に架する所の橋をも弁慶橋と号け、東の坂を弁慶橋と呼べり」とあります。この坂は、高安寺に伝わる弁慶橋に由来します。これは、高安寺の堂のうしろにある古井戸の水を汲んで硯の水とし、大般若経を書写したと伝…

猫又坂(ねこまたざか)

【文京区千石】不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる猫又橋につながっていた。この今はない猫又橋にちなむ坂名である。また、『続江戸…

南部坂(なんぶざか)

【港区赤坂】江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★右側は、アメリカ大使館宿舎です。下に行くと、傾斜16%の急坂の部分もあります。港区には、南麻…

鐙坂(あぶみざか)

【大田区南馬込】大正末期から始まった耕地整理によって出来た坂道で、元は狭い農道であった。坂の名は、伝説によると、梶原景季の愛馬麿墨が鎧を谷に落としたところという。鎧谷の地名から名付けられたものという。 よかったと思ったら、クリックお願いしま…

丹後坂(たんござか)

【港区赤坂】元禄(1688〜)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。 よかったと思ったら、クリックお願いします。 ←人気ブログランキングへ(東京都)

氷川坂(ひかわざか)

【文京区千石】氷川神社に接した坂ということでこの名が付けられた。氷川神社の現在の呼称は、簸川神社である。源義家が奥州平定の祈願をした社といわれ、小石川、巣鴨の総社として江戸名所の一つであった。坂下一帯は明治末頃まで「氷川たんぼ」といわれ、…

網干坂(あみほしざか)

【文京区白山】白山台地から千川の流れる谷に下る坂道である。小石川台地へ上る「湯立坂」に向かいあっている。むかし、坂下の谷は入り江で舟の出入りがあり、漁師がいて網を干したのであろう。明治の末頃までは千川沿いの一帯は「氷川たんぼ」といわれた水…

鳩林坂(きゅうりんさか)

【府中市八幡町】坂の名は、坂上にあるブリジストン創業者の石橋家が保有する別荘の鳩林荘から由来します。また、この坂は八幡道の一部でもあります。国府八幡宮のそばを通ることに由来します。江戸時代の古地図にもこの名が記されており、道筋は北東に向か…